5.社会心理学からみた管理組合
Prologue
前頁の「管理組合総会の進め方」では管理組合を法律・経済活動の内側から見ているのに対し、この解説欄では社会的存在としての人間行動を対象とする社会心理学の視点で人間集団を外側から見ていきます。
社会心理学では人間行動の対象を次の6つのレベルに分けていますが、ここでの対象は3と4に限定しています。
1. 社会状況における個人
2. 個人と個人の関係、すなわち対人行動
3. 個人の集まりが一つのシステムとなった集団
4. さらに集団の規模が大きな組織体
5. 不特定多数の大集団、集合行動
6. 社会的活動の成果としての文化、流行、消費者行動
「管理組合っていったい何だろう?」と悩んだとき、社会心理学の視点で見ると、説明のつくことがあります
前頁の「管理組合総会の進め方」に出てくる 社会心理学の用語
アメリカの女性社会学者 アーリー・ラッセル・ホックシールド(Arlie Russell Hochschild)が1983年出版した The Managed Heart: The Commercialization of Human Feeling,(日本語訳は「管理される心」世界思想社)で、 客室乗務員(Cabin Attendants)が給仕等の対人サービスだけでなく、 乱気流で揺れて不機嫌になった乗客に笑顔で接する訓練などに象徴される心の領域をも労働として提供されるということをEmotional Labour「感情労働」という言葉に集約した。
2024年1月2日17時43分02秒、羽田空港C滑走路34R上に新千歳空港発の日本航空(JAL)516便が着陸した直後、同滑走路で離陸待ちをしていた能登半島地震への救援物質を積んだ海上保安庁機JA722Aと衝突し炎上した。 衝突から18分でJAL516の乗員乗客379人全員が脱出したが、海保機JA722Aの乗員5名が死亡し、1名が重症を負った。
この事故で一人の犠牲者も出さなかったJAL516のCA(客室乗務員)による冷静かつ迅速な避難誘導に、 国内外から賞賛の声があがった。JAL社内でもこのような深刻な事態に遭遇した経験のある乗員はいなかったにもかかわらず、 このときのCAの半数は2023年春に入社して過酷な保安要員としての訓練を積んだばかりの新人だった。
事故機だけではなく、事故機の近くにいた全日空機などの他社のCAたちも駆けつけて地上で避難誘導にあたった。 CAの業務は普段は客室のサービス要員だが、事故の際は保安要員として客のパニックコントロール(客を落ち着かせること)と、 避難誘導にあたる。本当は自分達も怖かったはずなのに、冷静な対応を見せた彼女たちは、 まさに、プロとしての職業意識をみせてくれた。
社会の安全、安心を損なう現象や、社会モラルからの逸脱行為(自殺、ひきこもり、少年非行、不可解な犯罪、児童虐待、ホームレスの増加など)のこと。 いつの時代にも、殺人・強盗・強姦など各種犯罪、物乞いなど社会病理は存在していましたが、かつては存在していなかった現象を現代社会病理といいます。
1964年キティ・ジェノビーズ(Kitty Genovese 28歳女性)がNY・クイーンズ地区(中級住宅地)で性的暴行を受け殺害されたとき、その惨劇を地区の38人が目撃していたにもかかわらず、誰ひとり助けに向かわず警察にも通報しなかった事件は 全米に衝撃を与え現代社会のモラルや価値観の低下、NY市のような大都会の人々に見られる冷淡さにメディアの関心が集まり、その後、「冷淡な傍観者」=都市の社会病理としての「他者への援助行動の不在」)研究の契機となりました。
社会心理学者のラタネとダーリー(Latane,B., Darley, J.)が冷淡な傍観者 (Bystander "Apathy")の存在についてさまざまな実験を行い、研究を進めた結果, 緊急事態における参加者の反応はその人数の大きさが強く影響することを明らかにしました。
つまり、グループの人数が2〜3人のときは全員がすぐに援助行動を行うのに対し、6人のグループでは38%の参加者が何もせず、また援助行動への時間もかかるようになったのです。
傍観者の数が多くなると一人ひとりの責任が分散するため、援助が行われにくくなることを「傍観者効果」(Bystander effect)と呼びました。その後、 多くの社会心理学者によって、 援助行動の抑制と促進のしくみが明らかにされていきました。
自発的援助行動ではなく、仕事としての義務を伴う行動でも集団が多数の場合には手抜きが行われることをリンゲルマン効果といいます。
ドイツの心理学者リンゲルマン( Maximilien Ringelmann (1861-1931) )は、1913年、ストレインゲージ(圧力計)に取り付けたロープを引っ張る実験で、2人で引っ張った場合は期待値の93%、 3人では85%、8人では49%の力しか発揮していないことを発見します。つまり大勢になるほど、個人は怠ける(loaf)ようになります。 これは社会的手抜き効果("social loafing").、ぶらさがり現象、ただ乗り現象などとも言われます。 企業合併の記者会見で、経営者はよく、”シナジー効果(相乗効果)を発揮して”と言いますが、このシナジー効果(synergy effect)の逆がリンゲルマン効果です。
都市の特徴のひとつは「匿名性(anonymity)アナニメティ=お互い見知らぬ人々であふれ、お互いが孤立(isolatioin)していること、もうひとつの特徴が「過密性(crowding)=クラウディング」です。
込み合っているために、行動が制限され、プライバシーが侵されていると感じたり、状況のコントロールを失ったと感じ、怒り、苛立ち、不安、絶望、自棄を引き起こすことがある反面、逆に過剰な過密性の状態、即ち盛り場やイベント、 お祭りなどの状況では匿名性が過剰になり、群集心理の特徴(被暗示性、無名性、等質性、無責任性、衝動性、暴力性=エネルギー感覚の実感)が見られます。都市生活者の行動は、次の3つの心理的合理化の表れと見ることができます。
(1)他者への無関心、不干渉の形をとり、援助行動を行わない傾向を生み出す。
(2)責任の所在が不明になる。自分の責任ではなく、誰かがやるだろうと思い、結局誰も行わない。
(3)匿名性ということは、やるべきことをやらなかった場合に、他者から責められるという感覚を持たないで済む
また、匿名性は反社会的行動への抑制が弱まり没個人化(deindividuation=デ・インデビジュエィション 群集の中の一人)の感覚を生む。犯罪行動が起こりやすくなる。
クラウディングを感じたときに人がとる行動は次の5つのパターンに分類されます。
(1)主張する(抗議、意見を云う、環境を変える)
(2)行動の完遂(さっさと目的を達成し、立ち去る)
(3)心理的撤退(クラウディングをないものとして無視するために他者への無関心、不干渉、匿名性への逃避行動をとる)
(4)物理的撤退(目的の達成を諦め、そこを立ち去る)
(5)適応(周囲の人と協調して、その場でできる最も有効な手段をとる)
私達は通常、時、場所、対象、感情に応じて上記の5つのパターンを使い分けています。
ミルグラム(Stanley Milgram)が示した過剰負荷モデル(overload model)によれば、過剰負荷状態とは、「同時または連続して提示される一連の入力を人間というシステムが処理しきれない状態」のことで、この状態にある都市生活者は次のような忌避行動を取ることで過剰負荷状態に適応しようとします。
(1)情報の優先順位を決める(職場・友人・家族などの特定の関係に結びつく情報を優先し、残りのものは無視する)
(2)望ましくない入力を遮断する(他者の要求に冷淡な態度をとる)
(3)接触の方法を制限する(中身ではなく、形式的手続きの段階で、要求を拒否する)
(4)他者に労力を押し付けたり、責任を転嫁する。
以上述べてきたように、管理組合の無関心層はミルグラムの云う過剰負荷状態における都市生活者の適応として説明することができます。その背景に、匿名性を挙げることができます。
無関心層を減少させるには匿名性の打破が鍵となります。
広報をこまめに発行して情報を共有し、帰属意識を高める、総会以外に親睦のための会合や、避難訓練、消防訓練などあらゆる機会をとらえて、お互い顔見知りになれる機会を増やすなど、
身の丈(組合の規模)にあった手段はいくつかあるはずです。
最近は管理会社も組合向けに広報出版活動やインターネット事業を展開していますが、残念ながら、潜在需要である都市生活者の匿名性の打破という本質ではなく、
「顧客の囲い込みを狙い、かつサービスの付加価値を高める」という目先の利益を追求する事業戦略上の手段であり、組合自身が行う活動とは目的及びその内容において質的に異なります。
つまり、業者が行う「サービスの商業化」事業と、管理組合が自分達のために行う事業は同種であっても同質ではありません。これは委託管理と自主管理における本質的な違いでもあります。
ユルゲン・ハーバマス(Jürgen Habermas)フランクフルト大学名誉教授は『コミュニケーション行為の理論』(The Theory of Communicative Action 1981年)の中で、
「コミュニケーション行為(人と人が相互の了解や合意を追求し、達成すること)は他人の言うことを理解したり、
より有力な論拠を甘受したり、 そして意見の一致を得たりする能力を蓄えることが、各人の相対的な立場を認めながらも、普遍的な社会批判の根拠を成し、より民主的な社会伝達や交流を可能にする」と説き、
更に
討論が倫理的に正しく行われるためには、
第一に、説得力のある、矛盾しない議論が行われ、用語が首尾一貫した意味として使われること、
第二に、参加者が自らの私的利益や即時的状況という立場から身を引いて、対象となる問題について客観的に思考すること、
第三に、参加者が強制されずに自由に対等に討論に参加できること、
であるとしました。
ユルゲン・ハーバマスの思想は戦前のナチズムの行った問題に対しての非常に厳しい反省から出発しており、リベラルな理想論に見えるこの条件も、現実には困難であるがゆえに、この条件が示す意味は深いといえます。
ハーバマスの「予定調和」に対する批判
世界には本来ゆるぎなく一定の秩序に基いて万人が同意できる一定の「正しい解決策」が存在する(はず)であり、、
そのようなプロセスを経た結果を「正しさ」の基準として、現実の政治的意思決定が正しいか誤っているかを判定できるとする予定調和に立つ思想は、一方で、現在そうなっていないのはどこかに阻害要因があるからだという「邪魔者探し」思想の一類型であるという批判が存在する。
同様に、決定手続きとしての議論や交渉を経た結果として「正しい解決策」が提示されたとしても、 実際には、それらと独立して正当化されるべき「正しい解決策」が存在し、 それらを「予定調和」の思想や、決定手続きとしての議論の優位の下に統合しようと考えた人もいる。 ジョン・ロールズ(john Rowls)「正義論」(1971年著:,ベトナムに対する不正な戦争に加担する義務を国民は負うか?)
普遍的な「正しさ」というものは存在せず、すべては時代、場所、コンテキスト《文脈》といったものによって変化するという考えが 相対主義であり、現代の多元主義(Pluralism)につながっていきます。
集団には組織集団と未組織集団があります。社会心理学では「集団」とは組織集団を意味し、未組織集団は車内に乗り合わせた乗客などのように「単なる人の集合体」または群集のことです。
集団には次の特質が備わっています。
(1)共通の目標を持ち、
(2)持続的な相互干渉があり、
(3)成員間に一定の地位と役割の分化があり、
(4)共通の規範が成員の行動を統制し、
(5)これらの結果、成員間に一体感(「我々」という感情、We-feeling)が関係している。
集団に属して抱く「我々」という感情の度合いは、下記の集団の類型で異なります。
公式集団(Formal group):公の組織や規則など制度的に依存し目的別に編成される集団
非公式集団(In-formal group):個人の自由な感情や欲求によって自発的に形成され、各人が人間的関係によって結びついている集団
所属集団(Membership group):名目的にも形式的にも自分が所属している集団
準拠集団(Reference group):実際にその集団に属していなくても、自分の態度や行動がそこから影響を受ける集団のことで、いわば、個人が心理的に自分を関係付けている集団。
集合住宅の入居者の多くは管理組合という集団の目的と制度を知らずに入居し、総会を通じて集団の目的と制度を学んでいきます。
総会は単なる人の集合体を「実質的な組織集団」に変えるトレーニングの機会でもあります。
集団が形成されると、成員間に相互作用が見られ、各人の能力と特性に応じて、各成員に一定の役割(role)とそれに対応する位置(position)とが与えられるようになります。
位置とは、個人がその集団の中で占める一定の場所であり、それが成員間によって価値の重さで序列付けられ、認知されたものが地位(status)であり、役割は、その与えられた地位の中で、
それをなすことが他者から期待され、何らかの程度で固定化されている行動様式です。
役割と地位の分化に対応する一定の相互作用が集団内部で安定性を獲得した時点で「集団が構造化された」といいます。
管理組合は法律によって外側から構造化された集団であることを形式的に担保されているに過ぎず、実際に集団内部の各成員間の役割とそれに対応する位置を決定し認知していく作業は現実への対応の中で、
民主主義に則って管理組合自ら構築していくという難しい課題を構造的に抱えています。
集団には二つの主要な機能があります。
1. 集団維持機能(Maintenance M機能):
集団を維持し強化しようとする機能。
凝集力(Cohesiveness=成員自ら進んで集団にとどまろうとする内からの力)はM機能の基礎。
2. 集団目標達成機能(Performance P機能):
問題解決機能、すなわち集団のもっている目標や課題を遂行し、実現していくための機能で、
モラール(=目標達成に強く結集し協力していく度合い、一体感)のこと。
M機能とP機能のどちらを優先するかで、リーダーシップの類型が決まります。
P型の場合、仕事中心主義で、成員への配慮が薄くなりがちです。
M型の場合、目標達成への活動よりも、むしろ成員間の調和やまとまりに関心がむけられます。
最も望ましいのが、バランスの取れたPM型です。とはいっても私達は欠点だらけの生身の人間ですから、当事者には開き直る覚悟も必要です。 ある時期はP型で、また、ある時期はM型でというやりかたもあります。余り、類型にこだわる必要はありません。
参加や発言を制限し排除するのは民主的ではないといわれることがあります。
(1) 社会秩序を乱す者の排除
総会を民主的に行う為に総会の秩序を乱す者の発言や行動を制限し排除するのですから、その主張は本末転倒です。
「民主的」という言葉の真の意味を理解していないか、又は民主制という基本的原理に対する狭い理解に基く教条主義が基本にあります。
(教条主義:状況や現実を無視して、ある特定の原理・原則に固執する応用のきかない考え方や態度)
実際の管理組合運営に携わったことのない自称「専門家」が好んで法律の条文を振りかざすのは教条主義とは云いません。現実に対して単に無知なだけです。
「民主的」という言葉は、使った者が民主的であるかのように、云ったもん勝ちで使われます。北朝鮮も正式国名は朝鮮民主主義人民共和国(Democratic People's Republic of Korea)ですが、誰も北朝鮮を民主主義国家とは思わないでしょう。 民主制を破壊する側から、自分達が民主的とは云って欲しくない。
私達が目指す民主主義は、良識ある対話を通して大多数の合意に至る合意形成型民主主義(コンセンサスモデルとも言われる)であり、日本の国会の強行採決に見られる単純多数決型民主主義ではない。
「個人が等しく平等であること」を前提に、参加者に制約を設けない素朴な民主主義は現実社会では存在していません。例えば区分所有法では共同の利益に反する行為をした者には、59条の競売請求(けいばいせいきゅう)
即ち、その者の所有権を剥奪することも認められています。全体の利益は個人の利益よりも優先する。理性的な対話ができない者は民主制のルールでは排除される。 画一的平等も存在しない。
発言を制限するのは民主的ではないというのは、現実を見ない、狭い理解に基く幼稚な教条主義でしかない。
(2) 利益相反及び双方代理の排除
法律行為自体や外形から見て、その行為が受託者の利益にはなるが委託者にとっては不利益となる利益相反、及び、
当事者の対立関係が実質的に消滅して一方当事者の手続保障の欠缺(けんけつ)を結果する双方代理の場合には、
民法826条、860条、弁護士法25条3にも規定されているように、それらに該当する者は公平・公正・正義のもとで排除される。
令和5年9月13日第2次岸田内閣で第101代内閣を組閣した岸田文雄内閣総理大臣は、
自民党の派閥パーティ券収入からキックバックを受けて裏金作りをしていた自民党議員達への批判をかわそうと、
「自民党政治刷新本部」を立ち上げたが、その中の審議メンバーに安倍派10人の中のキックバックを受けていた疑いのある9人が入っていたことを批判され、
令和6年(2024年)1月13日、「特定の人間を排除するというような排除の論理は適切ではない」と語り、全員を参加させた。
現実を見ない、幼稚な教条主義者、又は、原則をもたない何でもありのご都合主義者の論理。
「排除は、いじめだ。いじめは許さん!」
「ほう、では警察が犯罪者を捕まえて社会から排除するのは、いじめですか?
泥棒を取り締まる法律を泥棒に作らせる国がありますか? ないでしょう。
民法でも委任契約に伴う利益相反や双方代理の該当者は排除する仕組みになって
います。特定の利権(vested interest)につながりを持つ者など、排除に公正かつ
合理的な理由がある場合は、特定該当者は排除しなければならないのです。」
人は論理の通らない話には承服しません。相手のいうことに理解と共感ができた時
に、人は納得します。人の知的相互作用を促進し、健全な関係性を築くためにも
話す時の道筋、つまり論理は必要です。道筋・論理は、@ 話しの起点=話の前提、
となる知識、 A どこを通って=根拠・理由、 B到達点=主張したい結論、の
「論理の3点セット」で組み立てます。
国際会議で沈黙した日本の大臣
日本人はこのような論理的な議論が苦手です。官僚は政治家答弁をこうレクチャー
します。「この件については、より幅広い議論を検討した上で、前向きに善処したいと
存じます。」
環境問題の国際会議で日本の環境大臣が政府のCO2削減を同様の内容で発表した
後の記者会見で、外国人記者からの質問は短いひとことだった。
「How?」(どうやって?)
国内では人気のある若手の大臣だったが、ここでは 沈黙した・・・。
その後の非公式会合の後に行われた記者会見での発言をロイター通信が世界に
発信した。それについて日本国政府が発表した公文書が下記です。
「気候変動のような問題はセクシーでなければならないという小泉環境大臣の
発言に関する」
「質問主意書:質問本文:参議院.pdf」 (156kB)
「質問に対する答弁書:答弁本文:参議院.pdf」 (146kB)
この答弁書も官僚が作成した。レクチャーからしりぬぐいまで。
(3) 民主主義の根本には排除の論理が内在する
古代ギリシアの民主主義の起源は古代ギリシアの都市国家(ポリス)にあるとされ、
古典ギリシア語のデモス(demos、人民)とクラティア(kratia、権力・支配)をあわせたデモクラティア(democratia)がデモクラシーの語源です。
民主主義はデモクラシー(democracy)の日本語訳で、君主に対応する概念として「民主」という概念を設け、人民ないしは国民が、支配の正統性および実際の政治権力の双方の意味を含む主権を有するものとして、為政者たる「民主」と、
被治者たる人民が同じ(治者と被治者の自同性)であるとする政治的な原則や制度を言います。
民主主義の定義は沢山あります。(草の根民主主義 、組合民主主義 、産業民主主義 、社会民主主義 、自由民主主義 、大衆民主主義、ブルジョワ民主主義 、プロレタリア民主主義・・・等々)いずれも、民主制に参加できる者を制限し規定する区分です。
古代ギリシアでも、民主制政治に参加できる者はアテネの総人口30万人のうち、 市民4万人だけで、市民の家族10万人、外国人5万人、奴隷9万人とその他2万人は参政権を持たなかった。
ここで、政治思想史の研究者である野口雅弘氏の著書「官僚制批判の論理と心理」(2011年 中公新書2128ー中央公論新社 ISBN978-4-12-102129-1) からの抜粋をご紹介しておきます。
「西洋における政治の知的伝統のなかで、官僚制的なものが排除されてきたのには、いわゆるポリス(都市国家)とオイコス(家政)の二元論がある。 古代ギリシャにおいて、対等な自由人が、互いに言葉・理性を用いて議論を戦わせる空間であるポリスは、家長が家族や奴隷を命令や暴力を通じて支配する オイコスとは厳密に区別された。そして政治はあくまで前者の領域に限定された。こうした政治理解においては、トップの命令を遂行する装置としての官僚制や それを通じた支配は明らかに政治の「外」に位置することになり、したがって政治学の主題にはなりえない。ところが、絶対王政の時代になると、この二分法は 崩れる。」(同書p13 抜粋 終わり)・・として、同書では近代社会における官僚制機構の分析と検討を幅広い知見で紹介しています。
アメリカの社会学者シェリフ(MuzaferSherif)が行った規範の形成に関する実験で、集団が未経験で不安定な状況におかれると、成員は自分の判断のよりどころがなくなり、 不安となるため、集団全体の規準や他者のそれに近ずこうとし、その結果、集団としての一つの規準が形成されてくることを示しました。
この場合、判断の基準となるものを準拠枠(frame of reference)と呼び、この準拠枠が成員によって共有されてはじめて規範(norm)が成立します。
つまり、規範とは、社会や集団の成員によって支持され、それを維持し守るために、成員として取るべき態度や行動が期待される標準的な行動様式のことを言います。
一般区分所有者はこの準拠枠である管理組合の規約を隅々まで理解しているわけではないので、総会では、懇切丁寧に、その規約の背景から説明しなければならない局面がでてきます。
単に規約に規定されているからと説明を突っぱねると、逆に反発を招いて信頼の回復に思わぬ時間がかかることがあります。
「急がば回れ」で懇切丁寧な説明が、結果的には良い結果が得られるようになります。
明らかに誤った意見なのに同調する者が出て驚くことがあります。人はなぜ、誤った情報に同調するのでしょうか。
それは、説明の仕方に原因があります。
ドィッチュとジェラード(M.Deutsch & H.B.Gerard)は、集団が成員に与える圧力を情報的影響(informational
influence)と規範的影響(normative influence)の二つに分類し、その効果の相違を明らかにしました、
情報的影響とは自分の判断や行動が正しいかどうかを直接事物に当って確かめる物理的実在性による検証ができない場合に、妥当な判断のよりどころを他の人々の意見や行動に求めようとするもので、これを社会的実在性(social reality)と呼びます。
それに対して、規範的影響とは、他の人々がその判断を選ぶように見えざる圧力をかけているように感じることから生じるものです。
情報的影響では多数者の意見に従っていれば間違いないだろうということで同調するので、心理的抵抗も少ないのに対し、規範的影響では、表面的には集団に合わせているように見えるが、実際にはやむを得ず自分の信念や意見を曲げて同調しているので、内面的には大きな抵抗を感じます。
これが追従(compliance)です。強制的に追従を強いると逆効果になります。
説明に当って懇切丁寧な説明をしなさいというのは、心理的に情報的影響を及ぼすようにしなさいということであり、、規約にあるから従えという言い方は、心理的に規範的影響を与えようとするものだから、逆効果になるのです。
人はどのようにして態度(attitude)が形成されるかを研究したクレッチ(D.krech.etal)によれば、
(1)自分の欲求を充足してくれる対象や手段には好意的態度をとり、反対に、疎外する対象や手段には非好意的態度を形成する
(2)情報を手がかりにしてその対象についての態度を形成する。偏った情報からは偏見が生ずる
(3)態度形成は自分が所属する集団の情報の質と量や集団成員が持つ態度の特徴に影響される。自分の行動のよりどころとする準拠集団(reference
group)のほうが名目的所属集団よりも大きな意味をもつ。
(4)上に述べた3つのほかに個人的特性 (personarity)外向的か内向的かなどの特性によって認識も態度も異なることを示しました。
(1)送り手の要因
情報の送り手側の重要な要因は信憑性ということです。つまり、受手側に情報の送り手がどれだけ信用されているかということであり、信憑性の内容は専門性(その情報に関して専門家であると認められる程度)と、
信頼性(受け手側から見た、送り手の情報提供の意図の誠実さの程度)から成り立っています。
ここで注意すべきは、専門性についてです。高い専門性をもった送り手の情報は初期の段階では影響力が高く権威の効果もありますが、それらは時間の経過に従って低下していきます。
逆に専門性の低い送り手による情報(説得)では、提示直後には低かった説得効果も時間の経過に従って高まることが知られ、これをスリーパー効果(sleeper
effect)と呼びます。どちらも結局は情報の内容自体で評価されていくからです。専門性の権威に頼るより誠実な姿勢のほうが説得には有利です。
信頼性に関しては送り手の説得意図が見え見えの場合は、受け手側には防衛的心構えができてしまい、素直に耳を傾けなくなるので、説得の効果は弱くなります。
(2 )一面提示と両面提示
一面提示とは提唱する立場を支持する議論のみの提示であり、両面提示とは、一面提示の議論のみならず、反対の議論も提示する方法を言います。
受け手と送り手の意見が対立関係にある場合は両面提示に効果があり、受け手と送り手の両者の意見が一致している場合には一面提示が効果が大きいのですが、一面提示は逆宣伝の攻撃にさらされた場合にはもろいとされています。
(3)説得への抵抗
人には基本的に自由でありたいという心理があり、自由が脅かされると感じた場合には自由回復への機運から説得に対する反発が生じてきます。これをブーメラン効果(boomerang
effect)といいます。必要以上に相手に圧力をかけず、相手の意思決定を尊重する姿勢がとても大事です。
これから勉強しようと思っていた矢先に母親から「早く勉強しなさい」と云われて、とたんにやる気を無くす子供の心をブレーム(J.W.Brehm)の心理的リアクタンス(反発)理論(psychological reactance theory)で説明することができます。
『群集心理』
「The Crowd: A Study of the Popular Mind 」フランスの社会心理学者ギュスターヴ・ル・ボン(Gustave Le Bon 1841.5.7〜1931.12.13)1895年の著
群集心理の特徴とその功罪を鋭く分析、個人は群衆の中において、その匿名性から生じる気安さと責任のなさとから、自主性を失い、知的判断のレベルが下がり、外部からの暗示と伝染に動かされて、本能の衝動に駆り立てられ、反社会的行動に走る。
この特性からル・ボンは群衆を操縦する方策を示唆する。
群衆は、ただ過激な感情にのみ動かされるのであるから,その心を捉えようとする弁士は、強烈な断定的言辞を大いに用いねばならない。誇張し、断言し、反復する事、そして、推論によって何かを証明しようと決して試みない事」。
この書はファシズムの台頭において、ヒットラー、ムッソリーニ、そしてロシア革命においてポルシェビキによって、民衆支配のテキストとなりましたが、その手法は今日でも見られます。短く、ワンフレーズで、繰り返し、断定的に、伝えること。 これが大衆操作の極意です。思いあたること、ありませんか?
『大衆の反逆』
(La rebelión de las masas)
オルテガ・イ・ガセット(Jos´e Ortega y Gasset スペインの哲学者1883.5.9-1955.10.18)の1930年の著
オルテガが言う群衆とは、権利のみを主張し義務を果たさない人々であり、成熟したデモクラシーと科学技術の中で育った彼らは、自分は何でもできるという万能感、
自律的であるという錯覚を持ちつつ、自己閉鎖的な人間へと化していった。その中で我々はいかに生るべきかを示しています。
人間を社会的存在と捉えるアプローチの方法には社会心理学のほかに、社会学、文化人類学、社会人類学、環境心理学、家族心理学、 組織心理学、社会福祉学、社会精神医学、地域精神医学、そしてコミュニティ心理学などがあります。
この中で、特に精神疾患に関する公衆衛生の面で実践されてきたのがコミュニティ心理学です。
1963年、ケネディ大統領が「精神障害者と精神薄弱者に関する教書」を発表したことを受けて議会で「地域精神保健センター法」が成立し、全米に精神保健センターが設立され、 それらに従事する心理臨床家が1965年ボストンで会議を行った中でコミュニティ心理学が誕生した経緯があります。
日本の精神疾患に関する公衆衛生の公的制度は、「立ち遅れている」なんてレベルではなく、皆無に等しい。
精神科医による患者個人への心理療法がパーソナリティの再構成または、行動の修正をアプローチ目標としているのに対し、住民コミュニティ全体を対象とし、
社会体系の変革による個人と社会システムの間の適合性を改善することを目標とするコミュニティアプローチこそ、急増する人格障害者問題にとって急務です。
騒音おばさん問題など、おかしな特定個人の問題としてではなく、公衆衛生モデルとして対策しなければならないのですが、未だ道遠しです。
コミュニティ心理学は臨床心理学(Clinical psychology)と地域精神衛生(Community mental health)の実践により、福祉の増進を目指すもので、
個人とその社会的な環境における適合性の欠如に関する専門的科学的な学問分野です。(community psychology aims to promote human welfare. By Douglas D. Perkins)
ELSIは倫理的、法的、社会的な問題の総称。
・倫理的 ( Ethical-エシカル),
・法的( Legal-リーガル)、
・社会的( Social-ソーシアル)
・問題( Issues-イシュ)
の頭文字で現代社会のキーワードといわれていますが、実は・・
「現在の企業社会では、利益を得ること以上にビジネス倫理(business ethics)が重要な価値を持つ。 良いビジネスとは、人々が共に働き、正しいことを行い、自分達の仕事を高い道徳水準( high moral)に従って行動することだ。 リーダーはそれを自ら行い、従業員たちの意欲をかきたて、手本を示さなければならない。 このことは大衆の信頼を後押しし、ビジネスにおける究極の成功のための基礎を築くことになる。」 (Francisco Dao,the founder of "StrategyandPerformance.com" a SanFrancisco- based executive coaching and consulting firm)
2001年、巨額の不正会計とインサイダー取引が明るみになった後、株価が急落し連邦倒産法第11章適用を申請し破綻したエンロン(Enron)事件の後、 企業犯罪や知能犯罪(Corporate crime and White-collar crime)を厳しく取り締まる法律が相次いで制定され、ビジネススクールのMBA課程においても、職業倫理観(Professional ethics)にますます重点を置くようになりました。
「2.5 日本版SOX法(管理組合との関連)」 「2.5.5 制度を形式的に整えても」
・・が、実はこれは今に始まった事ではなく、人間の生き方の普遍的かつ永遠のテーマです。
(60年前の)映画「ジャイアンツ 」(Giant=テキサス州のこと )の撮影終了1週間後の1955年9月30日、州道を走行中、対向車の車線はみ出し事故で24歳で死亡したジェームズ・ディーン(James Dean)が金と成功に執着するジェット・リンク役を演じています。
大牧場が石油産業という時代の変革の流れに押し流されつつ土地を取られていく中で、王者となった者もいつかは没落することを暗示しています。 テキサス州に拠点を置いていた新興エネルギー関連企業エンロンの破綻後の今、この映画をあらためて見ると興味深い。
(116年前の)1899(明治32)年、新渡戸稲造は何故「武士道」を書いたか
1899年にアメリカで最初に出版され、その後、17カ国で翻訳された「Bushido,the Soul of Japan]は、人間の品格と強靭な精神力を説いて世界中の人々に生きるためのヒントを与えてきた名著です。
稲造は、1887年札幌農学校助教授に任じられた後、農政学研究のために3年間のドイツ留学を言い渡され、ボン大学に留学中、かねて敬慕していたベルギーの法学者ラヴレー教授の家に1週間泊まり、教えを受けます。
教授から「日本の学校で宗教教育は何を授けるか」と聞かれ、稲造は「宗教など教えません、仏教も神道も学校内では教えません」と答え、それに対して教授はひどく驚き、「それじゃあ、学校で倫理はどうやって教えるのか、どうして善悪の区別を覚えるのだろう」と稲造に尋ねます。
稲造は愕然とし、即答できませんでした。この間のやりとりが「武士道」の序文に書かれています。
1891年札幌に帰郷後、経営困難だった札幌農学校を全力で支えながら、私学の北鳴学校や貧しい青年達の為の遠友夜学校の設立、北海道庁の技師を兼任するなどの過労が高じて病気になった稲造は1898年、メリー夫人の勧めでカリフォルニアに転地療養します。
そこで稲造は、10年前にラヴレー博士から突きつけられた問いに答えるべく、そのような観念を吹き込んだものが武士道であったことに思い当たって、「武士道」を執筆しました。
−「武士道」の一節から−
「武士の一言」、あるいはドイツ語でこの言葉の同義語にあたる「リッターヴォルト(注)」は、断言したことが真実であることを十分に保証するものであった。
このような語句があるように、武士の言葉は重みをもっているとされていたので、約束はおおむね証文無しで決められ、かつ実行されていた。むしろ証文は武士の体面にかかわるものと考えられていた。(−抜粋 終わり−)
(注)Ritterwort ドイツ語で、Ritterは貴族出身の騎士、戦士。wortは言葉。すなわち、「騎士の言葉」で、嘘いつわりのない言葉をも意味した。
人間の生き方の普遍的な価値観は、昔から何も変わっていない。