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今、建築業界で何が起きているのか(2) 官僚機構の問題

まえがき
 一般財団法人東京大学出版会が発行しているUP(UNIVERSITY PRESS)という小雑誌の第45巻第2号(通巻520号)2016年2月号に掲載された、 行政学・政治学が専門の公益財団法人後藤・安田記念東京都市研究所理事長 新藤宗幸(しんどう むねゆき)氏の論文 「行政責任を考える」連載第1回「有識者会議の濫設が意味するもの」の中で、「基礎ぐい問題」について触れられている部分を抜粋してご紹介しています。 本論は行政学の視点から問題の本質を指摘しています。

なお、本論文の最初の厚生労働省の薬害エイズ事件と有識者会議について述べた前段の部分は割愛して、 「基礎ぐい問題」以降の部分だけをご紹介していることをお断りさせていただきます。

1.能力の低下、責任の回避ー 能動性を失う官僚機構 ー

 1980年代に長期政権となった中曽根内閣時代にマスコミを賑わしたのは、「私的諮問機関」という言葉だった。 首相のもとばかりか省庁の局長レベル、はては自治体でも私的諮問機関が濫設された。 「私的」というから、なにやら行政の長の、まさに私的な勉強会のような印象が残るが、 国家行政組織法第八条に設置の根拠をもたない諮問機関である。 いわゆる審議会は、同法を基本的根拠としてそれぞれ法律ないし政令で設置されている。 他方、私的諮問機関は要綱などで設置されるから、それだけ機動的に設けることができるし、 委員の人選も政権や官僚機構の自由裁量に委ねられる。

 昨今では私的諮問機関という言葉が新聞紙面を飾ることは少ない。 代わって登場しているのは「有識者会議」である。 私的諮問機関と変わらないのだが、いつごろから大流行(おおはやり)になったのか定かではない。 集団的自衛権の行使や首相の「戦後70年談話」のような高度に政治的な問題から不祥事の対策まで、 実に多種多様な分野に有識者会議が設置されている。

そんなに細かな分野に精通した有識者が多数いるのか、 有識者会議ではなく、「利害関係者会議」ではないか、とつい皮肉のひとつもいいたくなる。

ともあれ、有識者会議全盛の時代を前にするとき、行政や政治の責任をどのように考えていくべきなのだろうか

 −(中略)ー

 さて、有識者会議が大流行の現代。未知の病という新たな問題状況への対応と異なり、 従来から数々の危険性(問題性)が指摘されていた事態の発覚を受けて急遽、 有識者会議を設置し対策を検討するといった動きが顕著だ。

 最近の典型的な事例は、2015年9月15日に住民からの通報をうけて発覚した、横浜市都筑区のマンション傾き事件 = 杭打ち偽装事件への国土交通省の対応ではないだろうか。

国交省は実態の把握、建築基準法による建築確認と工事施工の検査のありかたなどについて報告をまとめてもらうとして、 「基礎ぐい工事問題に対する対策委員会」という名の有識者会議を設置した。 おそらく、この委員会の報告をうけて早ければ2016年の通常国会に、建築基準法や関連法の改正法案が提出されるのではないだろうか。 (編集者注:本件の改正法案は提出されなかった。)

 とはいえ、この有識者会議はいったい、なんのために設けられたのだろうか。 2005年の「姉歯事件」をうけて建築基準法の規制は強化された。 そのために建設業界からは工事遅延の苦情が巻き起こった。 そこにリーマンショックが重なったために業界からは苦渋をなめさせられたとの「恨み節」がつぶやかれた。 だが、建築行政の改革は「姉歯事件」の処理でストップしたままであったといってよい。

2.マンション建築行政と業界の構造的問題

 今回の事件、その後につぎつぎと発覚する偽装杭打ちは、施工した末端業者のモラルの問題として片付けられるだろうか。 マンション建築行政と業界の構造的問題ではないか。

マンションは個人住宅と違ってあらかじめ所有者(利用者)が決まっていない。 建築発注者(販売会社)が完成以前に「青田売り」する。 元請施工業者は工事契約書に記された工期内の完成を義務付けられる。二次・三次下請け業者にはっぱをかける。 元請業者は工事管理料収入で「優雅に」すごせても、下請け業者は工期を順守しなければならない。 今回のような大規模な偽装でないにせよ、さまざまな技術的な「無理」を強いられる。 こうした連関のなかで、建築発注者(販売業者)にたいする法的規制はなきにひとしい。

3.過去の不作為への取り繕い

 このようなことは国交省官僚機構には周知のことだろう。 国交省には建築行政の問題状況をみてきた事務官もいれば多数の技術官僚も存在する。 事実上付属の国立研究開発法人建築研究所と研究者も存在する。 有識者会議をあわてて設置せずとも、自ら十分に対応可能であるはずだ。

 有識者会議の設置は過去の不作為への取り繕いなのか。 それとも、営々と建築行政を担ってきた官僚機構の能力の低下を物語っているのだろうか。 いまはそのどちらも断言するつもりはないが、全省的に人的資源を動員し行政のイノベーションをはたすことこそ、 行政責任の全うであるといわねばならない。

4.有識者会議を設置する理由

 なぜ有識者会議を必要とするのかについて考えさせられる事例は数多い。 政府の地方分権有識者会議の雇用対策部会は、2015年11月20日、ハローワーク(公共職業安定所)と、 自治体の連携を強化するために、自治体が無料職業紹介をするばあいの届出を不用とすることに加えて、 都道府県知事が実際上都道府県の組織としてハローワークを活用できるしくみづくりを検討するように報告をまとめた。

 じつは、この問題は「失われた10年」といわれた時代から自治体サイドにより提起されてきたことである。 そして、非正規就業者が40%を超えるばかりか、主として女性の一人親世帯の増加、さらに中・高齢層離職者が増加するなかで深刻化していた。 いわゆるワンストップサービスとして自治体が職業紹介の第一線に立つことの重要性は、さきの建築行政と同様に、 厚生労働省には認識されていたはずである。

だが、厚労省は、職業紹介・就労斡旋が国民国家(National Government)の責任というILO条約の規定を盾にとって重い腰を上げなかった。 ILOは国民国家といっているのであって、中央政府(Central Government)と言っているのではない。 有識者会議の報告をうけてこれから職業安定法の改正などが動き出すならば、それなりに評価しておこう。

5.行政への信頼性

いいたいのは社会の問題状況を把握するとともに、現場から起きている問題提起を受け止め政策のイノベーションを果たす ー 少なくとも改革の方向を積極的に提示することこそ、行政の責任なのではないかということである。

 硬直した見解をただすために外部機関を必要としたのならば、いつから日本の官僚制は能動性を失ってしまったのだろうか。

 政策や事業の実施にあたっては外部の知見を必要とする。
しかしそれは、まず人的資源においても情報量においても「卓越」した官僚機構が、 積極的な問題発見と創意ある政策立案に努めたうえでのことだ。

有識者会議の濫設は行政への信頼性を損ないかねない。