9.「自主管理」を「自力管理」と言い換えるのはなぜ?
管理方式には自主管理と委託管理があります。
(self-management and professional management / or Self-Managed and To Be Managed)
ところが管理会社に所属する人たちは「自主管理」と言わず「自力管理」という言い方をします。
管理会社の団体では「自主管理」に代えて「自力管理」を使っています。
他の団体でも管理会社の団体に配慮して「自主(自力)管理」という表記をしています。
ついでに他方も「委託管理」ではなく、「委託(他力)管理」としたらどうでしょうか?
一方が自力管理なら、相手方の対立概念として反義語の他力管理とするのが
正しい日本語の使い方では? (自力⇔他力、自立⇔依存、自律⇔他律)
言葉は対義語との関係を失うと意味が薄まっていく。そして言葉の遊びや観念論が生まれる。
ちなみに「自力救済」は法律用語では違法行為を指します。
「他力本願」を他人任せの意味で使うと仏教界(浄土真宗各派)から抗議を受けます。
自力、他力には「何を価値観の基準とするか」でそれぞれの異なる意味があり、結局はお互いの価値観を主張しあうだけの不毛の論争になりますが、 議論のための議論には加わりたくないので、私たちは、従来どおり、「自主管理」と「委託管理」の分類名でやっていきます。
1.管理業団体が「自主管理」を「自力管理」と言い換える狙いは何か?
自主という言葉には高邁な精神性が込められていて、商売仇である「自主管理」組合に使って欲しくない、 という不動産業界お得意の誇大ネーミング商法の延長線上にある攻撃性逆パターンのネガティブキャンペーンです。
相手を言葉で貶(おとし)めれば、自分の価値があがると思い込んでいる某国の幼稚な思想と同一ですが、卑しめた言葉は結局は自分に跳ね返ってくる。 自主管理を自力管理というなら、対立概念である委託管理は他力管理になりますが、 なぜ他力管理といわないのでしょうか? それは自己(管理業者)を否定することになるからです。
※ 「自主管理」が高邁で「委託管理」が低級だという主張をするつもりはさらさらありません。
そもそも言葉の遊びや観念論で虚構の価値観を作り上げて自己満足する趣味に付き合う気はない。
コミュニケーションはお互いの言葉が共通の定義で首尾一貫した意味として使われることで成立します。
共通の言葉で話そうよ、そうしないとコミュニケーションが成立しないよ!
「5.社会心理学からみた管理組合 『コミュニケーション行為の理論』」
(The Theory of Communicative Action 1981年)
言いたいのは、ただそれだけ。幼稚園の園児でもわかる単純な話です!
2.「自主」には高邁な精神性が込められていることの具体例
自主という言葉には万国共通の普遍的基準としての「精神性」が込められていることの具体例を挙げます。
(日本)(旧)教育基本法(昭和22年法律第25号)第1条 (教育の目的)
教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
(日本)(新)教育基本法(平成18年法律第120号)第2条 (教育の目標)
教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。 (一項 省略)
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
「教育基本法の解説」田中二郎・辻田力監修(国立書院)・・(注)(旧)教育基本法の解説です。
真、善、美の価値に関する科学的能力、道徳的能力、芸術的能力などの発展完成。人間の諸特性、諸能力をただ自然のままに伸ばすことではなく、普遍的な規準によって、
そのあるべき姿にまでもちきたすことでなければならない。 (この解説は文科省のHpに掲載されています。)
(台湾)教育基本法 民國八十八年六月二十三日總統 (88) 華總
第四條 人民無分性別、年齡、能力、地域、族群、宗教信仰、政治理念、社經地位及其他條件、接受教育之機會一律平等。對於原住民、身心障礙者及其他弱勢族群之教育、
應考慮其自主性及特殊性、依法令予以特別保障、並扶助其發展。
(コラム) 教育基本法が平成18年に改定された経緯
昭和22年の(旧)教育基本法は制定以後に教育を受けた世代にとって特別なものです。
「声に出して読みたい法律」なんて、そうあるわけではない。
それも、もともとの美しい条文は、国民に愛国心を強制する政府方針のもとで、
官僚が作文した無味乾燥の条文に変更され、今はなくなってしまいました。
ノーベル賞作家・大江健三郎さんが東日本大震災・原発災害のあとで、 2011年3月17日付(仏)ル・モンド紙に掲載されたインタビュー記事に加筆して次のように書いています。
「敗戦時、私は十歳でした。翌年、新しい憲法が公布され、一年たって施行されました。
同時に教育基本法が私らのものになりました。
(すでにそれは改定されましたが、もとの教育基本法は、教育に焦点をおき、子供らが読むことも想定された、
憲法の誠実な語りかえでした)。」
ー「世界」2011年5月号所載(岩波書店)「私らは犠牲者に見つめられている」より一部抜粋 ー
教育基本法改定の背景
教育基本法が改訂されたときのいきさつを、前衆議院議長・大島理森(おおしま ただもり)氏が
2023年(令和5年)9月20日付け日本経済新聞 「私の履歴書」に書いています。
歴史の重要な記録として、教育基本法改正に関係する部分を下記にそのまま引用しておきます。
「〜安倍政権の大きな課題のひとつが教育基本法の改正だった。与党の検討会の最後の座長として
公明党との調整に汗をかくことになった。
この検討会は小渕内閣、森内閣と続く教育改革の路線を引き継ぎ、小泉政権時代に設けられた。
教育に深い造詣のある保利耕輔さんが長く座長をされていたが、郵政選挙のときに離党され、空席に
なっていた。森喜朗さんからのお声がけで後任を引き受けた。与党を離れた保利さんにも顧問として
引き続き会議に来てもらった。
焦点は「愛国心」だった。自民党はこの言葉を新しい教育基本法に盛り込むよう求めていた。
公明党はタカ派的な色彩が濃いとして難色を示していた。
公明党の大田昭宏さんや浜四津敏子さんと、とことん話し合った。
最終的には、教育の目標に「わが国と郷土を愛する」と書くことで折り合った。
文部科学省の若手職員が感謝の印として色紙に寄せ書きをしてくれた。」 (-完-)
同紙「私の履歴書」では、派閥の人間関係の中でのご自分の役割の説明に終始していて、 教育基本法について触れているのは上記の引用ですべてです。 政治家の派閥と官僚のムラ社会(場による集団の特性ー地域性(localism)と直接接触性(tangible)ーを持った集団) で法律は改定された。
3.自主管理を自力管理と言い換える〜矛盾だらけのレトリック
「自主管理」を「自力管理」と言い換えるレトリックを展開している文献をご紹介します。
「マンション管理法入門」1998(平成10年6月30日)山畑哲世著 信山社出版 (著者は元管理会社に所属)
(以下 同書P4より抜粋)
『マンションの管理運営は、原則として「規約自治」に基づく「自主管理」である。しかし、建築・設備についての専門的知識や資格がないと実際の管理運営が難しいため、
その業務を管理会社等の外部の専門家に委託することになる。どの程度外部の業者へ委託するかにより、()「全部委託」()「一部委託」()「自力管理」に分類できる。ー(中略)ー
なお、「自主管理」と「自力管理」を混同し誤解している人が多いが、「全部委託」の方式であろうが、 管理組合の運営は「自主管理」であり、区分所有者が主体となって運営管理の責任を負うことになる。
具体的に言えば、全部委託により管理会社に管理業務のほとんどを委託した場合でも、全て管理会社だけの判断で工事等を独断的にできるわけではない。
理事会の役員によるチェック及び承認、総会でのチェック及び承認により、はじめて管理会社は工事等を実施できるのである。
要するに、マンション住民は管理運営の手足として管理会社を使っているのであり、判断・チェックするための頭も管理会社へ委託しているわけではない。』
・・(P4より抜粋 終わり)・・
矛盾その1 (なお、「自主管理」と「自力管理」を混同し誤解している人が多いが、・・「マンション管理法入門」)
混同し誤解しているのは「マンション管理法入門」の著者自身です。
著者は自主統治(self-governing)と自主管理(self-management)を混同し誤解している。
人間のあるべき「自主性」と管理形態の「自主管理」は下記のようにまったく別の概念です。
自主性 :autonomy; (one's) independence of mind ; 【形式ばった表現】 independency
自主性とは自分の判断で行動する能力、機能、態度のこと。
自主管理 :self-management
自主管理とは管理組合のマネージメントを区分所有者がセルフサービスで行うこと。
自力管理 :??(もともとこんな言葉はない。)
管理業界が自主性と自主管理を混同しネガティブキャンペーンで作り上げた造語
著者が混同し誤解している原因
「共同体は、暗に自主管理を意味する(community is self-governing implies)」というなら、意味はわかります。
この場合の自主管理(self-governing)は「選ばれたリーダーに権限を与え、管理規則を自分達で作る」ということであり、
共同体の全構成員に対し、確実な権利と義務を遂行する責任を与えるという意味を含んでいます。
それらを共通の基礎的前提条件としながらも、具体的な実務のマネージメントまで自分達で自主管理(self-management)するか、 或いは管理会社に委託管理(professional management)するかの話に、 「すべては自主管理(self-governing )に含まれる」というのは括弧内の英語なら 意味は通じるが、ガバナンスとマネージメントの違いの説明抜きでの日本語では正しく伝わらない。
著者が混同し誤解しているのは、”self-governing”と”self-management”の違いを理解していないからです。
日本語の「自主管理」という言葉を英語に訳すときは、それが意味しているものの真意が、governing(統治)なのか、 management(管理)なのかを見極めて使い分けしないと、正しく伝わらない。
逆に、日本人は”governance”の「統治:支配」という日本語には拒否反応を示すから、「管理」という言葉に置き換えるか、または 不祥事を起こした企業の責任者がお詫び会見で云うように「今後はガバナンスを強化しコンプライアンスに努める」とカタカナ語に置き換える。 これを「企業内統治を強め法令順守に努める」と云うと傲慢という評価になる。あいまいにするのが日本文化。「管理」もそう。
あいまいな日本語の「管理」、その結果の言葉遊び。著者自身も気が付いていないのが笑える。
同じ統治でも、企業における「統治」と管理組合における「統治」は異なります。
「管理組合のガバナンス(統治)の基本は主体性と当事者意識」を参照
矛盾その2 (管理組合の運営は本来『自主管理』だと言う過剰な精神性へのこだわりと倒錯性)
「管理組合の運営は『自主管理』であり・・」として管理の前提(上位概念)に「自主管理」という管理形態の用語を用い、その下位概念として、新たに「自力管理」を作り上げています。
つまり、暗黙の上位概念として「自主管理」が先にあり、明示的な下位概念に「自力管理」と「委託管理」があるという倒錯した奇妙な論理になっています。 しかも皮肉なことに、「自主管理」が人間のあるべき普遍的基準から見て上位にあるという過剰なこだわりが読み取れます。
だが、ありようとしての自主性と、それが現実にどのように存在するかということの間には大きな溝が存在する。
自主性は、自我と社会倫理のなかで人それぞれが獲得していくものです。
ましてやありようとしての自主性と、現実の自主管理とは「矛盾その1」で示したようにまったく関係がない。
「自主管理」を消し去って「自力管理」に置き換えようというネガティブキャンペーンのための勝手な論理でしかない。
本来の「自主管理」は長所と短所、利害得失、賛否両論それぞれを冷静に判断して行うものであり、このように過剰に精神性にこだわると本質を見失ってしまいます。 自主管理をやっている人たちは、精神性なんかにこだわっていません。もっと現実的です。あほらしい!
「自主防衛」や「自主防災」でこんな論理を展開したら国民は黙ってはいない。管理業界がいかにマンション住民を甘く見ているかということなんでしょうね。
矛盾その3 (委託契約は自主性に基づいた自己責任であるというのは正しいが、それを自主管理とは言わない)
委託管理契約は有償・双務・諾成契約であり、正しい情報開示を前提とした上で、契約はすべて自主性に基づいた自己責任だというのは正しい。
但し、上記の委託管理に対する説明文は、私たちが文脈を正しく理解しようとして補足した言葉ですが、 「マンション管理法入門」の著者は、「自主性に基づいた自己責任」を、「自主管理」という言葉に置き換え、 従って委託管理契約もすべて「自主管理」に含まれるという結論を導いている。
ここでは「自主」という言葉が独善的に、ことばの彩として、我田引水的に使用されている。
何度も言うが、ありようとしての自主性と、現実の管理形態の分類とはまったく関係がない。
この著者の本音は文中の「管理会社は工事等を実施できるのである」というところにある。
「(組合員の自主性に基づいた自己責任による)総会でのチェック及び承認により、はじめて、管理会社は工事等を実施できるのである。」 と主張したかったのだろうが、管理業務の委託を請けている管理組合から管理会社が修繕工事を受注するという利益相反取引(※)についての弁解どころか、上から目線で開き直っている印象を受ける。
実際のところ、人件費商売の管理業よりも、修繕工事のマージンのほうがはるかに利益は大きいから、管理会社は自社を元請とする工事受注を誘導し、口先ではどういっても受託責任よりも自社の利益を優先する。
管理会社やこの本の著者らが幾ら詭弁(きべん=こじつけ)を弄(ろう)しても、利益相反取引(※)は信頼で成り立つ委任関係にある相手に経済的損失を与えるから、倫理的にも許されない。
このような相手の信頼(Confidence)を裏切る行為を米国ではコンフィデンス ゲーム(Confidence game = 詐欺とペテン行為 = Scams and Swindles ) という。
※利益相反行為:管理会社と管理組合の利益が相反する行為、即ち、法律行為自体や外形からみて、管理会社の利益になるが、管理組合にとっては不利益になる行為のことを法律用語で利益相反行為(りえきそうはんこうい)といいます。
「相手の自主性と自己責任に基づいた契約である」と言い逃れても、それが現在における意思状態に反して告知され、人を錯誤におとしいれ、欺き、財物を交付させるよう相手に決意をさせた場合は、詐欺罪が成立する。
利益相反回避措置の詳しい説明は 「何故、第三者機関が必要か?」を参照
4.「自主性」の論理と倫理
長崎大学教育学部教育科学研究報告第16号【「自主性」の展開と適用】熊谷忠泰(著)1969-03(発行)より引用 (※)今から50年以上も前に書かれていた論文です。
【「自主性」と一口に人びとがいうとき、その意味はそれを口にする人の個人的な主観に
よってさまざまである。しかもそれが全く独善的な使用に一任されたり、時にことばの彩として用いら
れたり、我田引水的に使用されるところに暖昧さを通りこして危険をすら感じる。
しかしことばは生きた内容をもつとともに生活に正しく適用される論理をもつものであり、
ことばは論理と倫理に耐えるものでなくてはならない。】(〜同報告より一部抜粋〜)
「自主性」の内容を吟味し、生活現実への論理を教育的に見出そうとした同報告では、
日々の生活指導で人間のありようとしての自主性を育むための諸要素を簡潔に8つの項目にまとめています。
(1)積極性(2)決断性(3)継続性(4)努力性(5)計画性(6)責任性(7)自己立法性(8)批判性
【「対象や事実に潜む「矛盾を露呈させ、問題の所在・性格を明確化すること」は、 矛盾の「存在」を確認しその意義を把握することであり、 そのような機能を果す能力を「自主性」の8個の要素の中に求めれば、 その主導的なものとして積極性・継続性・決断性・努力性を見出すことができる。」】(〜同報告より一部抜粋〜)
(この文章は皮肉で付け足したのではありません。同報告の中にあるものをそのまま、抜粋したものです。)
5.管理組合のガバナンス(統治)の基本は主体性と当事者意識
組合員の中には管理組合のガバナンス(統治)について触れると、
「誰が誰を統治するんだ?」と反感を持つ人がいます。それには次のような理由があります。
(1) 統治と抑圧
統治と言うと統治者から抑圧されている独裁専制国家を連想する人がいます。
基本的人権と集団意思決定への参加権が保障されている民主主義国家では、
集団意思決定にかかわる主体性と当事者意識の行使は個人の責任です。
(2) 主体性と当事者意識の欠如
自分のこと以外の「みんなの問題」には、自分はかかわりたくない。税金や管理費を払っているのだから、
そんなものは行政や管理会社に任せておけば良いという利己主義(egoism)です。
「組合全体の利益になるような決定こそが自分のためになる」という意識、
いわば利他的利己主義(altruism)を各人が確立していくことが重要になります。
(3) 統治とは国家権力の行使であって、それ以外の統治は認めない。
公務員は人事院(地方公務員は地方自治体の人事委員会又は公平委員会)で人事管理を行い、
公的な財政支出により雇用されて、国家公務員法97条の宣誓を行って国家権力の行使にあたっています。
公務員は職務上、一定の指揮命令系統のもとで指揮命令に従う事が要求され、職務外の義務も99条(信用失墜行為の禁止)から、
103条(私企業からの隔離)、104条(他の事業又は事務の関与制限)など、細かな制約が課せられています。
これらの人が管理組合の活動に対しても役所の権威主義・序列主義を持ち込んで、
組合員の主体性と当事者意識を否定する態度に出るのは彼らの身に付いた習性かも知れません。
ただし、なかには例外の人もいることを付け加えておきます。
「マンション管理適正化法」は、組合員の主体性と当事者能力と自己決定権と、
その結果の多様性を否定した法律になっています。国民を枠にはめて支配する。
官僚に法律を作らせるとそうなる。
老朽化対策と法改正〜令和2年改正の概要〜
解説・リベラリズムとパターナリズム(「区分所有法改正・中間試案」解説)
・・・ あらためて繰り返しますが・・
管理組合の統治能力とは、企業におけるコーポレートガバナンスや役所の服務規定と違って、
生活する人の視点で生活全般の諸問題を居住者全体の共通の問題として投げかけて、
それを一緒になってみんなで考えていく過程における統一的で継続的な合意形成のコーディネート能力のことです。
民主主義は参加者が主体性と当事者意識を喪失することで機能不全に陥ります。
みんなが決まりを守るコンプライアンスとガバナンス(統治能力)は、 主体性と当事者意識を育成するための広報活動を媒介にして表裏一体の関係にあります。
6.「自主管理」を「自力管理」と言い換える者を撃退する方法
2006年6月4日中野区勤労福祉会館で行われた自主管理をテーマとするフォーラムの会場で、
マンション管理士と名乗る男が立ち上がり、得々と説明を始めました。
いわく、「管理組合が自主的に取り組んで委託管理をしている場合も自主管理なので、
皆さんが言っている自主管理は本来、自力管理と言うべきである。」
司会者は、「言葉の遊びや観念論で私たちの問題の何が解決するのですか?」と問いかけ、 「何にも解決しない!」と断じた上で、「言葉の定義がお互いに異なると議論が混乱します。 本日の会議では管理会社に委託しているものを委託管理、 全くしていないものを自主管理という言葉で統一させていただきます。」と宣言し、 本来の管理上の問題に関する討議に戻りました。